天白川源流を探す旅
針名神社由緒
今回の話は、地元の氏神様である針名神社から始まります。
針名神社は平針にある旧式内社で、正確な住所は 名古屋市天白区天白町大字平針大根ケ越 175 。
因みに、大根ケ越は "だいこんがごえ" ではなく、"おおねがこし" です。
針名神社の西側出入口 |
こちらが西側にある参道の出入口。
立派な鳥居と狛犬、それに写真には写っていませんが神馬の像もあります。
砂利ですが広い駐車場と、車椅子用の通路が完備されていて、鳥居をくぐると長い参道が続いています。
参道 |
両脇の所々に神社に関するクイズとその答えが書かれた看板が立てられていて、子供たちにも神社に興味を持ってもらうための工夫が見えます。
参道の途中の左側に、お手洗いと手水舎があり、青空が映る綺麗な水面に、竜神様の口から滴る水が静かに落ちていました。
手水舎 |
しかし、今回はそれが無くなっていました。
カラスはどうなったのでしょうか?
門 |
参道の入口が西向きなので、拝殿及び本殿は南向きという事になります。
拝殿 |
こちらが拝殿。
奥の御本殿には御祭神として、尾治針名根連命 (おわりはりなねのむらじのみこと) 、大国主命、少彦名命、合祀されている八幡社の品陀和気命 (応神天皇) が祀られています。
拝殿脇に設置されている木製のパネルに、御本殿の御祭神と御利益、そして針名神社の歴史という文章が掲載されています。
それによると、針名神社は西暦905年に編纂が開始された延喜式神名帳に "従三位針名天神" として記載されている事から、創建は少なくとも1100年以上前と考えられるそうです。
主祭神の尾治針名根連命は、尾張国一宮の真清田神社の祭神、天火明命 (あめのほあかりのみこと) の十四世孫に当たり、父の尻調根命(しずきねのみこと)と共に犬山市の針綱神社 (はりつなじんじゃ) にも祀られていて、古代豪族尾張氏の氏神様と考えられているそうです。
本殿の御祭神と歴史について |
一応、そのパネルの写真を載せておきますが、日当たりが良くて半分見辛いので、別の場所にある石版の由緒書きを後で掲載します。
詳しくないついでにもう一つ。
よく思う事ですが、尾張の国の一宮が熱田神宮ではなく一宮市の真清田神社で、出雲の国の一宮が出雲大社ではなく、松江市の熊野大社。その地方で一番人を集める神社は、敢えて一宮にはしない決まりなのでしょうか?
摂社 |
一番右側の大きな祠には神明社、知立 (ちりゅう) 社、山神社、御鍬社、洲原社、金刀比羅社が合祀されていて、それぞれ天照皇大神、鵜葺草葺不合神 (うがやふきあえすのかみ) 、大山祇神(おおやまつみのかみ)、豊受毘売神(とようけひめのかみ)、菊理比売神(くくりひめのかみ)、大物主神が祀られています。
摂社御祭神と御利益 |
その左隣の針名天神社には、名前の通り、菅原道真、一番左の天王社には、建速 (たけはや) 須佐之男命がそれぞれ祀られています。
実は稲荷神社がその後ろにあるのですが、僕は昔からお稲荷さんとは相性が良くない様なので、写真や紹介は省略させていただき、鳥居の一部だけを画像に入れて場所を示すにとどめさせていただきます。
針名天神社御祭神と御利益 |
天王社御祭神と御利益 |
そしてこの針名神社には、南側にもう一つの小さな鳥居があります。
南側参道出入口 |
石段 |
天白川左岸の元郷
そんな僕が一番興味を惹かれるのが、その神社のいわれ因縁が記された "御由緒書き" といわれるものです。
先ほどの木製パネルにも針名神社の歴史が記されていましたが、ちょうど陽の光が当たって良く読み取れない部分があったと思うので、前出の木造の門の右横に設置されている、石板に記された由緒書きを載せてみたいと思います。
因みに、2つの由緒書きの文面は違いますが、内容は重複しています。
由緒書き |
そして、僕が平針に引っ越してきて初めてこの神社に参詣して以来、ずっと気になっていたのがこの部分。
拝殿の木のパネルに書かれている事と合わせて要約すると、針名神社は元々、現在の場所から800m北の天白川左岸の元郷 (もとごう) にあり、慶長年間 (1612年頃) に徳川家康の命により平針宿が成立すると同時期に、そこの部落の人々と共に現在の場所に移って来たというのです。
こういう事を聞くと、元郷とは何処だったのだろう?と思ってしまうのが僕のクセで、何度かそれらしい場所を見に行ってはいるのですが、今のところ全く分かっていません。
一度、社務所にいた巫女さんに聞いてみた事があるのですが、分からないと言われてしまいました。
神社の関係者が知らないのでは、もはやお手上げです。
しかし、そうは思ってみても、また今回も性懲りも無くぶらぶらと自転車でその辺りを訪ねてみました。
蟠住山 龍渕寺 |
このお寺については別に書いていますので、興味のある方は こちら をご覧ください。
日進市赤池町の、町名の由来にもなった池があったと伝えられているお寺ですが、この場所は天白川まではまだ200mほどの距離があります。
ただし、天白川は昔から幾度も氾濫を繰り返して周辺に水害をもたらして来たという歴史があるので、当時とは流域が変わってしまっている可能性が大きいです。
そうなると、最早考古学者でもない限り打つ手はありません。
天地社 |
こちらも何度か訪ねた事はありますが、こちらの由緒書きを見ても、この地が平針の元郷 (もとごう) であったという事を示すような記述は全く見当たりません。
そういえば、前述の針名神社の巫女さんに、天地社がある場所は違うのでしょうか?と聞いたところ、違いますと言われたのでした。何処かは判らないけれども、天地社は違うらしいです(笑)
この神社についても記事を書いていますので、興味のある方は こちら をどうぞ。
因みに、この写真の右端に写っている建物内には、元禄2 (1689) 年に建立された、同社の旧本殿が保存されています。
大正橋から天白川の下流を望む |
それにしても、いつも思うのですが、神社が建てられる場所というものは、他の場所とは違う何かがあるのではないのでしょうか?
仮にも1100年も前に御神域だった場所が、今は何処だったのか全く判らなくなるものなのでしょうか?
しかしその事とは別に、天白川に架かる大正橋という小さな橋の袂で僕は、かねてから何となく考えていたもう一つの目標を思い出したのです。
それは、天白川の源流を探す事でした。
天白川の源流へ
僕は天白区の住人です。
区名の通り、区内を天白川が流れているのですが、グーグルマップで川筋をずっと追ってみると、天白川は名古屋市の東隣にある日進市から流れて来ています。
地下鉄平針駅から地上に出るとバスロータリーがあり、その北隣はピアゴ平針店。その向こうにサーティワンアイスクリーム、細い路地を挟んで美容院があり、その向こう側の珈食房るぱんという喫茶店との間を、繁盛川 という、そこから200m先で天白川に合流する小さな川が流れていて、その川の手前までが名古屋市天白区、川の向こうからは日進市赤池町となります。
道路の反対側でいうと、どんどん庵までが名古屋市、そこから北は日進市となります。
前述の龍渕寺も天地社も日進市に入るので、この話は、針名神社以外の舞台は全て日進市という事になります。
大正橋から上流を望む |
スタートは、先ほどの大正橋。住宅地や田んぼの中を抜ける細い道を繫ぐ小さな橋です。
因みに、大正橋の一つ西側にあり、平針駅を通過する県道221号が天白川を渡る場所に架けられた大きな橋が、新大正橋です。
晴れ渡ってシーンと冷え込んだ青空の下、彼方に聳える赤と白の鉄塔を見晴るかしながら、冬ざれの草むらに続く土手の小道を行く、小さな自転車の旅が始まりました。
この辺の天白川は流量も少なく、度々氾濫を起こしては周辺に災害をもたらしてきた川とは到底思えません。
梅森橋から上流を望む |
周りは一面の田圃。最初の頃には遠くに見えていた赤と白の鉄塔が、もう間近に立ち並んでいます。
梅森橋を過ぎて少しすると天白川は穏やかに右にカーブし始め、コースは少し南に膨らんで、ここら先は幾つかの川が合流して来ます。
ここで気を付けなければならないのは、天白川を遡るには、上流に向かって常に右側にいなければならない という事です。そうしないと、いつの間にか岩崎川に進路を持って行かれてしまいます。
野方大橋 |
折戸川と合流する手前の野方大橋を渡り、川の左側に移ってしまったのです。
何故そうしたのかというと、折戸川と岩崎川それぞれの合流地点の間の右側は、道が川から20mほど離れていて、その間の土地は、やたら草木が生い茂っている為に川が見えないのです。
旅の目的が天白川を遡る事なので、出来るだけ川から離れたくないという心理が働き、ついつい川にぴったりと沿っている左側の道を選んでしまったという訳です。
合流地点から200mほど岩崎川に沿って北東方向に向かってしまった僕は、間違いに気付いて引き返しました。
そのまま進んでいたら、相当な回り道をしなければ天白川に戻って来れなくなるところでした。ここは十分に気を付けましょう。
因みに、きちんと右側の道をキープしていると、高上川には気付かず仕舞いになります。
余談ですが、この岩崎川に沿って北東方向に暫く行くと、県道221号から岩崎西田交差点で分岐した広い道に出る手前に かつみ屋 というラーメン屋があり、とても美味しい豚骨ラーメンがいただけます。
本郷橋から上流を望む |
野方大橋の下流側の堰は、四角の三方から水が流心に落ち込んでいく様子がとても綺麗でした。
途中にいくつもの堰があり、天白川治水の苦難の歴史を見る思いがしましたが、水が適度に溜まっている所もある中、川というよりも湿地と言って良いほど水が少ない所もあり、下流域に当たる緑区西部や南区辺りの川幅の広さからは想像も付かない様な光景でした。
藤枝町と米野木町の境界付近 |
周囲はずっと田園地帯と住宅地が半々といった感じで、たまに幹線道路を横断しますが、その際、幹線道路の向こう側に続く道が中央分離帯に阻まれていて、左右どちらか少し先の信号のある交差点まで行かないと渡れないという事が2回ほどありました。
この地図では、幹線道路である県道233号に架かる新米野木橋の手前の米野木橋から、東名高速道路の下をくぐるまでの範囲を示しています。
米野木橋の下流側から |
上流側から見ると、鏡の様な水面がスパッと途切れて、その向こうの枯れ草が群生した中洲が見えます。
晴れて風も無い穏やかな日ならではの光景ですね。夏の緑の季節もきっと綺麗でしょう。是非また見に来たいと思います。
米野木橋から下流方向を望む |
米野木福成児童公園 |
米野木橋の袂の対岸に、米野木福成 (ふくなり) 児童公園という公園があったので、こちらで一休みさせていただきました。地元の人間でもなく、児童でさえないのですが、大丈夫だったでしょうか?
東名高速道路の下をくぐる |
そしてこの米野木町で、天白川に沿う道は東名高速道路の下をくぐります。
広々とした田園地帯は終わりを告げ、ここから先は、低い山というか、丘に挟まれた、より自然の多い地域に入り、旅はいよいよ大詰めに差し掛かって行きます。
この地図は、天白川が東名高速をくぐってから、地図で見る限り天白川が流れ始めている場所であると思われる 名古屋商科大学 の周辺までを載せています。
名古屋商科大学の南隣でオレンジ色の線で縁取られている三ケ峯 (さがみね) 上池は、天白川の事実上の水源と思われる池で、その隣の黄色のバツ印が、天白川の本当の源流があると思われる場所です。
そしてこの辺りは環境保護に力を入れている地域らしく、「川をきれいにしよう」という看板が立てられていました。この川でホタルを育てるという活動がなされている様です。
勿論、この時点ではあれがそういう建物だという事は知りませんでしたが、視界に入った途端、何となくあそこが目的地かな?という気がしたので撮ってみました。
ここから終点までは、自分で撮って来た写真と共に、グーグルマップのデフォルトの地図で位置を確認しながら話を進めていこうと思います。
というのは、衛星写真ではもはや川であるという事が分からない様な状態だからです。つまり、水が写っていないのです。
デフォルトなら、一応水色の線によって川筋を追う事が出来ます。
地図の赤いマークが写真を撮った場所で、右端の黄色のマークが天白川の源流地点を示しています。
先ず、ここは三ケ峯上池の南東150m程の所。三ケ峯上池から放流された水が、写真左側の奥から流れて来ています。
右側上方を走っている県道58号の下に潜り込んでいる水路は、道路を挟んで向こう側 (南側) にある日進高校の敷地に沿って造られた側溝から流れて来ていました。
こ
三ケ峯上池 |
デフォルトの地図で分かる様に、ちょうど欄干の下辺りで水が堰き止められていて、そこから一部の水が下に落ち、一つ前の写真の地点まで流れて行っています。
大きな水の流れからすれば、ここが源流という事になりますが、元々の川の流れの発生地点までは、まだもう少し行かなくてはなりません。
写真を撮った場所は県道58号の歩道で、写っている欄干のある場所は立ち入り禁止区域になっている為、そこまで行く事は出来ません。
おそらく三ケ峯上池が良く見える場所に行く事は可能だとは思いますが、今回はそれが本題ではないので、特に探しませんでした。
名古屋商科大学入口 |
歩道を進んで名古屋商科大学の校門前まで来ました。
道の奥に見える門の様な構造物が、少し前の写真で遠くに見えていた建物です。
天白川の、三ケ峯上池からの放流口より上流に当たる細々とした流れ (実際には草むらしか見えませんが) は、この道の下を潜って反対側に続いています。
横断歩道を渡って反対側に来ました。
反対側は谷になっていて、一面草むらです。
左手に見えるコンクリートの構造物が水の流れを通すトンネルで、源流から来た水がここに流れ込んで交差点の下をくぐり、三ケ峯上池から落ちて来た水と合流します。
源流から水が流れて来る経路らしい筋が見えたので、確認できた範囲で写真に赤で線を描き込んでみましたが、実際には水の流れが見えた訳ではありません。
水が流れたらしい跡はその向こうの木立の中にも続いていたので、校門前のT字路を校門方向に入り、脇に続く谷あいの木立を覗き込みながら歩道に沿って校門手前まで進んでみました。
校門の下に、大学を出入りする車両を管理する警備員室があり、中にガードマンがいたので天白川の源流について聞いてみようと声を掛けました。
僕が「天白川の...」と口にしたらガードマンがすぐに「ああ、源流でしょ?」と返して来ました。
僕の行動を見ていて、あらかじめ僕の質問を予想していたという雰囲気だったので、同じことを聞きに来る人が結構いるのかと思って聞いてみると、「年に一回ぐらい、見学会の様なものがある」との事でした。
僕の行動を見ていて、あらかじめ僕の質問を予想していたという雰囲気だったので、同じことを聞きに来る人が結構いるのかと思って聞いてみると、「年に一回ぐらい、見学会の様なものがある」との事でした。
ガードマンによると、天白川の源流がその木立の中にある事は確かな様です。
「源流はそこですよ」と言われました。
大学の敷地内なので、谷まで下りて行く事は出来ませんでしたが、一番見やすいと思われた場所から写真を撮ってみました。
それが下の写真です。
天白川源流 |
画面の右下から斜めに出ている筋が、天白川の最初の川筋だと思われます。
恐らくこの辺りの地面から湧きだした水が集まって最初の小さな流れを作り出し、途中で幾つかの川と合流しながら次第に水量を増やしてやがて伊勢湾に注ぐ、その原点を、薄暗い木立を通してやっとこの目で見る事が叶いました。
水の流れそのものは見えませんでしたが、それなりの達成感はありました。
これで、今回の旅は終わりです。
帰路は来た道をそのまま折り返しましたが、かなりヘトヘトでした。
結局、天白川に沿って源流に向かう道は、一部だけ砂利や草むらのままのデコボコな所もありましたが、ほとんどは自転車でも徒歩でも行ける、平坦な道のりでした。
クロサギは海鳥ではなかったかと記憶しているので、もしかしたら、ただ黒っぽいだけのアオサギかもしれません。どちらにしても、天白川の源流域はサギが沢山飛んでいました。
という事は、サギの餌となる魚も沢山泳いでいるという事になり、それは魚の餌となるプランクトンも豊富だという事を示しています。
つまり、天白川の豊かな自然が再生しつつあるという事になるのではないでしょうか。
周辺に住む人達や、自然保護活動をされている方々に敬意を表すると共に、天白区に住む者として、川の周辺の環境に悪影響を及ぼす事の無い生活を心掛けていきたいという思いを新たにしました。
では、今回はこの辺で。
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