カレンダーの風景写真から始まった長い旅
(1) ある風景写真
僕は、あるカレンダーの写真をずっと捨てずに持っている。日付などの部分を切り落としてしまっているので、何年前のものだったか、今はもう正確には思い出せない。ひょっとしたら10年ぐらい経ってしまったかも知れないのである。
その写真に写っている風景は、特に珍しいとか目を奪われる様な絶景だとかというものではない。
遠景は雲一つ無い蒼空と、一面薄く雪に覆われた、なだらかな斜面を持つ山。
中景は桟橋の様な物と、その根本に建つ円筒形の胴体に三角帽を被せた、サイロの様な建物。
近景は、それら全てを正確に映し出す、静かな水面である。
水面が海なのか川なのか、写真を見た当初は分からなかった。また、季節は今まさに厳しい冬のさ中なのか、或いは寒さが緩む頃なのか、どちらとも判別がつかない。
桟橋の骨組みが作る幾何学模様の陰影と、円筒形の建物の真っ白な輝きが、人工の物でありながらその佇まいが逆に人の気配を消し、この凍てつく様な風景に更に寂寥感を与えている。
僕はその白と黒と青の景色を初めて見た瞬間から、何故か強く惹き付けられた。僕が北国の生まれであるという事も、多分に影響していたと思う。
木の1本も見えないなだらかな丘はスキー場の様にも見えるし、船着き場があるという事は観光地か、或いは資源の積み出し拠点である可能性もあるが、写真の風景からはまるで人の気配というものが感じられない。
サイロの様に見える建物からの連想か、あの丘全体が広大な牧草地で、冬は誰もいなくなってしまうのだろうか、などと、色々な想像を巡らせてみたりもした。
しかし、最初の頃はそういった想像を巡らせてみるだけで僕は十分満足し、その風景の場所を実際に探し当ててみようという気までは起きなかったのである。
(2) フォートウィリアム
その写真の枠外、左下には片仮名で小さく「フォートウィリアム スコットランド (イギリス) 」と記されているのは、最初から気付いてはいた。スコットランドなら、何と無く憧れを抱いている土地の一つなので、どこなのかが分かったら面白いとは思うのだが、思うだけでなかなか実行に移す気までにはなれない。
要するに、日々の生活の中に於いては、この件は優先順位がそれほど上がる事は無かったのである。
初めてその写真を見てから数年経ったある日、ふと思い立って iPhone の safari でフォートウィリアムを検索してみた。
余程他にする事が無かったのか、或いは、この写真がどこの風景を写したものなのか知りたいという欲求が、遂に行動を起こさせるまでに高まったのか、そのきっかけは今となっては思い出せない。
何はともあれ、確かにその地名は存在していた。
イギリスとアイルランド |
北海から深く切れ込んだ入り江の最奥部に、西側の山岳地帯から下って来た川が流れ込んでいる様に見える地域。
そして、その海から伸びて来た入り江はそのまま北東方向に裂け目の様に続いていて、その谷間の様な地形を目で辿って行くと、あのネッシーで有名なネス湖があった。更に谷間はそのままの方向に進み、やがてグレートブリテン島の東海岸に抜けて行く。
もちろん僕はその場所には行った事が無く、とりたてて勉強した事も無いので、そこがフィヨルドなのか普通の入り江なのか、或いは川なのか、その地形の成り立ちは想像するしか無かった。
フォートウィリアムの位置 |
あのサイロの様な建造物は、この町のどこかにあるのだろうか?
iPhoneのグーグルマップでフォートウィリアムの、特に海沿い (これが海だと仮定して) を出来るだけ拡大して目で追ってみると、確かに桟橋の様な物が一つ、陸地から砂浜を通過して付き出していた。
「これは」と思ってすぐにピンを立ててみたのだが、桟橋上にはストリートビューは存在しない。
今度は陸地側の道路にピンを立ててみると、ストリートビューはあるのだが、カレンダーの写真とは全く雰囲気の違う風景が広がっていて、サイロの様な建物も見当たらなかった。
ついでに街中の風景も見て回ったのだが、最初の写真の風景から受ける牧歌的なイメージとはだいぶ違っていて、当然ながら人の住む、普通の町という雰囲気だった。
ストリートビューというものは、目的地の様子がある程度分かっていてそれを検索するだけなら便利なのだが、知らない土地を検索していると、自分がどちらの方向に向かって進んでいるのか、或いは始点からどれだけ離れたのかが分からなくなったり、行こうとしている方向に急に進めなくなったりして、段々とストレスが溜まって来る。
初めてグーグルマップでフォートウィリアムを調べてみた時はこんな状態で、途中でやる気も失せていしまい、そのままこの件は、また数年間放置される事になってしまった。
(3) インスタグラム
時折、何となく惹かれるものがあって捨てずにいる写真を暫し眺めて空想を巡らせる事はあっても、どうにかしてこの場所を探し出す方法を考えようという程には、再び僕の気持ちが盛り上がる機会はなかなか訪れなかった。写真の風景は、僕にとっては言わば「癒し」であり、場所を突き止める為にストレスを抱え込むなど、本末転倒以外の何物でもない。
しかしある時、その少し前にアカウントを作って投稿し始めていたインスタグラムなら、何か手掛かりになる写真がアップされているかも知れないと思い付き、検索ボックスに fortwilliam と入力してみた。
出て来たのは、岩石地帯の様な風景の中で大きなカーブを描いている陸橋や、登山、或いはトレッキングをしている人々、モトクロスの様なオートバイ、古い町並みなど、かなりバリエーション豊かな写真の数々で、前回、グーグルマップで街中を検索して回った時に得た印象とはだいぶかけ離れたものだった。
僕の思考は混乱し始め、折角もたげて来たやる気がまた失せそうになった。
しかしその中に混じって、砂浜に打ち上げられた状態で傾いた船の写真がいくつか見られ、それらが、本来の目的とは別に僕の関心を繫ぎ止めた。
この光景は確かに印象的で、目の前にあったら自分でも絶対にカメラに収めたくなるだろうと思うほど魅力的だった。
カレンダーの風景にも桟橋があり、この場所が決して船とは無関係ではないと思えたので、今度はこの船をグーグルマップで見つけてみようと、周辺の砂浜を拡大して見て回ったのだが、目的を達する事は出来なかった。
しかしその時、その写真の主人公である座礁船と共に僕の心を捕らえたのは、その背景である。彼方に臨める山のシルエットが、カレンダー写真に写っているそれと似ている気がしたのである。
それを糸口にもう少し食い下がってみようと、その船が映っている数多くの写真に付けられたハッシュタグを、1枚1枚じっくりと見てみた。
すると、#scotland や #highland といった広い範囲を示すものに混じって、いくつもの写真に於いて見慣れないタグが共通して付けられている事が分かった。
それは #bennevis と #corpach というものである。
(4) 背景の山
まず、#bennevis をタップしてみると、出て来たのは、ほぼ山の中の風景。しかしその中に混じって、山を遠くに望む写真もあった。それがまさにあのカレンダー写真の背景にある山とそっくりなのである。
フォートウィリアムとベンネビス山の位置関係 |
それをタップしてみると、フォートウィリアムからわずか7㎞ほど南東にピンが立ち、そこに "ベン・ネビス山 (Ben Nevis)" と表記されていたのである。
グーグルマップに登録されている写真を見てみると、インスタグラムで見たものと同じ、なだらかな丘の様な山で、あのカレンダー写真の山とも同じと見て間違い無さそうである。
次いで、同じ様にグーグルマップでcorpachを検索してみると、ベン・ネビス山からフォートウィリアムを越えてその延長線上に、 その地名を見つける事になった。
二つのハッシュタグはどちらも、フォートウィリアム周辺の地名だったのである。
(5) フォートウィリアムとコーパック
南西方向から伸びて来た入り江が急に向きをほぼ真西に変える場所、その弧を描く砂州の様な土地の両端で南北に向き合う二つの町、フォートウィリアムとコーパック。フォートウィリアムとコーパックの位置関係 |
今度はインスタグラムで #corpach を検索してみた。
すると、こちらはほぼ、あの砂浜で座礁した船の写真で埋め尽くされていた。そして、かなりの頻度で、背景にはベン・ネビス山が控えていたのである。
それに比べ、街中の風景は驚くほど少ない。グーグルマップで見る限り、緑の中に綺麗に整地された区画があり、そこに整然と建物が並んでいる様子が見て取れるのだが、その住宅地の様に見える風景を撮影したと思われる写真を、インスタグラムで見掛ける事は出来なかった。
(6) 探し求めていた景色
そこで、そもそも最初にフォートウィリアムを検索した時にしたのと同じ様に、グーグルマップでコーパックの辺りを拡大してみると、北東方向から下って来る細い川の河口に、船着き場の様に見えるものが薄っすらと写っていた。コーパックの桟橋にピンを立てる |
現れた風景を見た瞬間、僕は思わず快哉を叫んだ。
「やった!ここだ!」
目の前に、あのサイロの様な建造物が少し見上げる様な角度で立っていた。
数年間、心の中であれこれと妄想を掻き立て、探し求めて来た風景が今、iPhoneの画面に写し出されたのである。
彼方のベン・ネビス山が、雲を透かした陽光に霞んでいた。
ストリートビューの画像 |
ピンを移動する |
最初に試してみた時は50mほど北側にずれた所にピンが下りてしまい、暫く住宅地の中を彷徨ってしまったが、もう一度試してみると、今度は上手い具合に海岸線を走る道路にピンが下りた。
ストリートビューで見ると、道路は舗装もされていない細道だが、それに沿って鉄道が敷かれている様だ。
ストリートビューの画像 |
ストリートビューが出せる範囲ギリギリまで西に寄ってみたが、残念ながらカレンダー写真と同じ角度の画像は無かった。
カレンダー写真とストリートビューを見比べて推測すると、恐らくカメラマンは浅瀬まで足を踏み入れて撮影したのではないだろうか。
だいぶ角度は違ってはいるが、写真の中で見慣れたもの達はストリートビューの中に全て納まっている。
惜しむらくは冬の風景ではなかったが、それは最初に僕を惹き付けたカレンダー写真の1カットで十分というものであろう。
ともあれこれで、カレンダー写真の撮影場所を突き止めるという、長年に渡る目的は達成された。
随分と、時を要したものだ。
(7) カレドニア運河
ひとつの目的を達成してから数か月経ったある時、あの時以来ずっと気になっていた事に少しこだわってみようという気になった。例の座礁船である。
先ず「フォートウィリアム/座礁船」で検索してみると、インスタグラムで見たものと同じ様な写真が並んだサイト以外では、関係がありそうなものにはヒットしなかった。そのほとんどは、観光関係の記事である。
次は「スコットランド/コーパックの船」で検索してみると、あの座礁船ではなく、カレドニア運河 (Caledonian Canal) という項目がトップ項目として出て来た。
それまでは全く聞いた事も無い言葉だったので、興味を持ってその記事 (※) を読んでみると、カレドニア運河とは、コーパックからスコットランド北東部にあるインバネスまで、スコットランド北部を斜めに切り裂くように走るグレート・グレン渓谷と呼ばれる断層に沿って存在する天然の湖や人工の運河の連なりで、ネス湖もその一部らしい。
つまり、最初にカレンダー写真を見た時に海なのか川なのか分からなかったあの静かな水面は、地殻の断層が作り出した長大な谷の西端と、英語で loch と呼ばれる狭い水路の様な地形の最奥部の接点という事になる。
ネス湖も Lake ではなく Loch Ness と表記されている他、海からフォートウィリアムまでの入り江も、その奥のコーパックで西に方向を変えた先も、どちらもそれぞれ Loch と表記されている。
そして、その記事の中にあった「コーパック海水門」と題された写真の中に、カレンダーの写真とはだいたい反対側と思われる方向から撮影された、あのサイロの様な建造物を見る事が出来る。
つまり、あの写真に写っているのはカレドニア運河の西側の出入口である、コーパック海水門だったのである。
※ 参考
(8) 座礁船の影
この文章をまとめるに当たり、最近購入したiPadの大きな画面でグーグルマップを起動して、もう一度コーパックとフォートウィリアムの間にある砂浜を検索してみた。あの座礁船の場所を、是非とも探し当ててみたかったからである。そして、インスタグラムにアップされている座礁船の写真の背景などと照らし合わせながら、コーパック側から今まで以上につぶさに検索し始めると、意外と簡単に座礁船の場所を見付ける事が出来た。
コーパックの砂浜 |
"古いボート" とは、まさにあの座礁船の事に違い無いと、僕は発見と同時に確信した。
そして、水色のカメラのマークをタップしてみると、インスタグラムで見た物と同じ、あの船の写真の数々が画面に映し出されたのである。
グーグルマップに添えられた口コミの翻訳を読んでみると、ここはかなり有名な観光スポットの様であり、評価も高い。
因みに、Caolは "ケイル" と読み、現地の地名である。
それにしても、iPhoneの画面で探していた時は船の形など全く気付く事が無かったにも関わらず、そこに船があると知ってからは、同じ画面でも簡単に気付く事ができるのだから、自分の注意力というのか、物を探す能力の足りなさには只々呆れるばかりだ。
最後に
以上が、カレンダーで見掛けた写真に何となく惹かれてから、その場所をストリートビューで探し当てるまでに至る、数年間に渡る思考と作業の顛末である。もっと熱意を持ち、集中して注意深くやっていれば、また、インターネットなどから要領よく情報を取得する能力があれば、ほんの数時間で解決する話だった様な気もするのだが、たったこれだけの事を数年も掛けて、気の向いた時にだけのんびり事を進めるというのも、それはそれで楽しいものである。
完
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