住宅地の中に小さな丘がありまして
【お断り】
この記事は2016年5月19日にアメーバブログに投稿したものを一部編集の上、アーカイブしています。現在とは周囲の状況が異なる可能性がある事をご了承の上、ご覧いただきますようお願い致します。
今回は城跡です。
といっても、高い石垣や整備された立派な公園がある訳ではありません。
あるのは小さな丘と、狭い割には樹々が鬱蒼と繁った森、そして、小さな神社です。
島田城跡。
天白川に架かる新島田橋の東端から200m程、県道59号と220号が交わる島田交差点の東の角に地蔵寺という曹洞宗のお寺があり、その東側に隣接しているのが 島田神社 。
天白川に架かる新島田橋の東端から200m程、県道59号と220号が交わる島田交差点の東の角に地蔵寺という曹洞宗のお寺があり、その東側に隣接しているのが 島田神社 。
狭い道路に沿って石垣がありますが、これはおそらく、近年になって行われた区画整理で、土留めの為に造られたものと思われます。
天白区役所がホームページに載せている島田城跡に関する記述によると、島田城は、室町時代の貞治年間 (1362~1367年) 、尾張・遠江 (とおとうみ)・越前の三国の守護である斯波 高経 (しば たかつね) が、鎌倉街道の要衝だったこの地に築城し、代々の城主は、斯波氏に連なる牧一族が務めました。
因みに、城跡の向かいのお宅の表札を見てみると...牧さんでした。
これは、入口に立っている、名古屋市教育委員会作製の案内看板。
石段の方を上がってみました。
本当に神社がありました(笑)
周囲を見回しても、この神社と、鬱蒼と繁る樹々以外は何も無く、外観から想像される通りの急斜面に囲まれた狭い場所です。
帰りは女坂の緩い斜面を下って下界に降り立ちました。
後で調べてみると、神社は島田城の本丸があった場所に鎮座し、名前は 牧神社 だそうです。
2018年5月2日に制作した動画をこちらに貼っておきますので、宜しければご覧になってみてください。
2018年5月2日に制作した動画をこちらに貼っておきますので、宜しければご覧になってみてください。
ところで…
県道220号を挟んで地蔵寺の先にある 島田神社 は、斯波高経が島田城を築くにあたり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたと天白区のホームページにあります。
「熊野権現は貞治年間島田城の守護神として城主牧高経公の崇敬殊に篤かり」とあります。
(写真の右から3行が該当部)
少なくとも650年前から、この地で共に歴史を見つめ続けて来たという訳ですね。
歴史って、勉強は苦手でしたけどやっぱりロマンを感じますよね。
天白区にはまだまだ沢山神社や史跡がありますので、行く先々で色々と覗いてみたいと思います。
それでは、今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願い致します。
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