11月 08, 2017

【ラーメン福 島田橋店】もやし多めと普通 + カルディで買ったグリーンカレーヌードル

地元の福ちゃん。

この日は夫婦で地元・天白区にある「ラーメン福 島田橋店」へ。

{5606B066-BE99-45B3-B450-3DFFDFABBF34}ラーメン (野菜多め)
ラーメン 600円 (手前 : 野菜多め/奥 : 普通)

衆議院選挙の期日前投票の為に天白区役所に行き、近くにある ラーメン福 島田橋店 で夕食にしました。我が家では、区役所や保健所に行ったらラーメン福で食事をするというのがお約束です (笑)
 
{76B526E6-06C9-43E9-9AC5-88E2572E3B54}ラーメン (野菜多め)

それにしても昨日の福ちゃん、一段ともやしの盛りがステキ過ぎる… 。
もう、丼の縁からこぼれ落ちそうです。
 
{737F2DEE-2FF4-4243-9A0F-F2689A8EFB78}ラーメン (野菜多め)

昨日は餃子も付けました。7個で350円。
こちらは至って普通です。


続いてその日の昼食。

{108C28B0-8D02-4F47-B70F-5424F793B0D3}カルディ
グリーンカレーヌードル

少し前に カルディ で買ったタイのカップ麺です。なんと、あのグリーンカレー味。
 
{DD403D39-B5EB-48E4-A3A9-323847547D22}カルディ

カップの中身は麺と粉末スープ、ペースト。
粉末スープとペーストはどちらも熱湯を注ぐ前に入れます。
 
{65EDAB77-BB58-449A-8C36-1639E35C5A0F}カルディ

粉末スープはこんな感じ。
主にココナッツミルクでしょうか。レモングラスの独特な香りもします。乾燥したニンジンも入っていました。
 
{F6A43482-271C-4E67-B49C-4FA88EAA74B7}カルディ

ペーストはこんな感じ。
こちらは青唐辛子を始めとする辛味成分と、脂だと思われます。何かの粒々ぽいものも混じっていました。
 
{B1B0FEE4-0756-457C-9AAA-60286F0CBC69}カルディ

熱湯を注いで3分後。
粉末スープは溶けていますが、ペーストはそのまま残っていました。怖いので良く掻き混ぜます (笑)
 
{72DAE10C-59B2-4C8E-ACE8-66681C694660}カルディ

白っぽい麺は中華麺ではないかもしれませんが、グリーンカレーの風味を味わうには、この小麦粉だけの麺の方が良いかも知れません。
辛さはそうでもありませんでしたが、優しくて良い味をしていました。意外とご飯にも合いそうです。

{F24DB4A8-79F0-4771-8A80-315F9261D3F0}カルディ

ついでにカロリーも塩分も控えめでした。


アメブロ 10月21日の記事より一部修正の上転載。
https://ameblo.jp/libaston/entry-12321344235.html



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11月 07, 2017

【 montana (モンタナ)】地元の良店で鶏白湯醤油ラーメン

地元の駅近くの旨いラーメン屋。

この日は、妻が会社の食事会に参加するという事で、珍しく一人での夕食。
こんな時は、夜しかやっていない店に行くしか無いという訳で…

{13E00047-C087-4683-8A60-185FA836E4BE}らーめん (醤油)
montana らーめん (醤油) 750円

地元・平針の Japanese RAMEN montana へ。
7月のプレオープン以来の訪問です。
前回は塩味をいただいたので、今回は醤油味にしてみました。
具材は塩と変わらず、チャーシュー1枚と海苔、ヤングコーン、メンマ、カイワレ、刻み生タマネギ。
プレオープン時の塩は海苔が1枚でしたが、今回の醤油は3枚入っていました。
 
{FB4F2588-A138-4EB0-B791-FEC0A86D538F}らーめん (醤油)

白濁した鶏白湯スープが薄っすらと醤油の茶色に染まり、表面に多めの油が浮いています。
見るからにこってりした感じですね。

{C4C009C0-9133-4F29-80E9-51973A9223D0}らーめん (醤油)

少しとろみのあるスープは、鶏白湯のコクと醤油の甘みが相まって重そうな印象をいだかせますが、決して重過ぎる事は無く、飲みやすいです。

{9FC1035A-EE2D-46CC-A015-E06F93E1E0F8}らーめん (醤油)

加水率低めの細麺が、そのスープを絡め取って口の中に滑り込んでくる感触も非常に心地良く…

{1D6AE4FB-4717-4F07-8EDB-A7270989756E}らーめん (醤油)

チャーシューは柔らく、味が良く染みています。
味付けは濃過ぎず、肉の旨味も十分に味わえました。
久しぶりの訪問でしたが、最初に一口スープを啜ってみて、オッ!美味い!とすぐに思いました。
麺も各種具材もスープと相性が良いものが揃えられていて、まさに充実の一杯でした。

{20F462F4-A7C0-44FB-8559-3F260BB67F9C}店舗外観
店舗外観

なぜ、そんな美味い店にプレオープン以来行っていなかったかと言うと、最初に書いた通り、この店は夜しか営業していないからです。
最新の営業時間を見ると、土日は昼もやっている様ですが。
地下鉄鶴舞線の平針駅から歩いて2分ぐらいの場所にありますが、この辺りは地元の人しか足を踏み入れない、ちょっとディープな界隈です。
 
{6D078977-581B-44E4-AC34-096E8FB9EBDA}店内

プレオープン時には無かったバイクが展示されている店内は、厨房を囲むカウンターに8席と…

{D2C5AB13-9743-4C72-9605-AB6B8B1649CC}店内

前回は良く見えなかった奥のテーブル席。
個室感覚で静かに食べられそうな感じかと思ったら、厨房と直結していました。
ここは以前、ハングアウト というショットバーだった店舗です。

{5416A1C4-1BD2-4F38-9D54-98D35C25F7F5}メニュー
メニュー

メニューには鶏白湯スープを使ったラーメンと担々麺、丼物とトッピング、ビール、ソフトドリンクが並んでいます。
地元の良店として、また是非お邪魔したいと思います。

montana (モンタナ)

【住所】名古屋市天白区平針 3-405

【営業時間】
平日 18:00〜24:00
土日 11:30〜14:00 ・ 18:00〜22:00
祝日 18:00〜22:00

【定休日】火曜日

参考までに、montana の前回の記事は → こちら


 (アメブロ10月28日の記事より一部修正の上転載)
https://ameblo.jp/libaston/entry-12323423100.html


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【名古屋辛ジロー さわぎ】熱い辛い豚辛さわぎで腹いっぱい

歴史を刻め 新栄 の割と近所にある二郎系の店。

この日 (10月15日) は妻の美容院に付き添って栄に行きました。
そこで、自由時間を利用していつものラーメン散歩 (笑)
歴史を刻め は定休日なので、近くの広小路葵南交差点にある 藤一番 に行こうとブラブラ歩いて行ったのですが、どうせならもう少し散歩をと思って吹上方面に向かう道に入り、一つ目の信号の所で何となく周囲を見回すとラーメンの赤い幟と黄色い看板が目に飛び込んで来ました。

名古屋辛ジロー さわぎ

面白い名前だなと思って近付いてみると、明らかに二郎系である事を匂わせている感じだったので入ってみました。

しょう油味 豚辛さわぎ 990円 (トッピング : ニンニク普通/アブラ普通/野菜マシ/辛さ3)
しょう油味 豚辛さわぎ 990円 (トッピング : ニンニク普通/アブラ普通/野菜マシ/辛さ3)

辛い肉味噌の乗る 辛さわぎ はしょう油味とみそ味があるのでしょう油味を選択。
ニンニクは通常では “無し” なので “普通” で注文。アブラも “普通” 、野菜は “マシ” 、辛さは5段階中の3。
(メニュー&トッピング表は下に写真掲載)
 
しょう油味 豚辛さわぎ 990円 (トッピング : ニンニク普通/アブラ普通/野菜マシ/辛さ3)

ドーム型に盛られたもやしとキャベツに4枚の豚が立て掛ける様に並べられ、辛そうな肉味噌が唐辛子粉と共にその反対側にたっぷりとかけられています。
てっぺんには刻み生タマネギと共に、刻みニンニクと味付きの背脂。

スープ

スープは程々に乳化したマイルドな醤油スープで、油膜が薄く張るぐらいの油浮きがあります。
そして、かなり熱いです。
 
スープ

粗めの豚挽肉で作られた、いわゆる台湾ミンチで覆われている側は、スープも油も朱色に染まっています。かなり辛いですが、豚の香りや旨味も十分味わえます。
以前の僕なら、食べるどころか挑戦する気も起きなかった様な代物ですが、今は大量の汗をかきながらも味わって食べられる様になりました。
 
麺

麺は極太で表面はツルツル。すすり心地が良く、硬めの茹で加減で食感も上々。
 
チャーシュー 豚

豚は8mmほどの厚みのバラ肉。
味付けはあっさりですが良く染み込んでいて、赤身の部分までかなり柔らかくなっています。
 
完食

スープの油がそれほどでも無かったのと、豚ミンチをしつこく追いかけていたらいつのまにか完食完飲でした (笑)
粗挽き黒胡椒も結構入っていましたね。
満足でした。
 
店舗外観
店舗外観

店は新栄の古い木造の建物が並ぶ界隈にあり、こちらもちょっと錆びれた小屋みたいな感じです。
 
店舗外観

入口前に灰皿があるので、店内は完全禁煙と思われます。

店内
 
小さな木製の引き戸を開けて中に入ります。
席は、厨房を囲むL字型のカウンターに7席のみで通路は狭く、鞄などは椅子の下に入れられる様になっています。
席に着いてから注文し、支払いも帰りに席でします。
卓上の調味料は、コショウとラーメンのタレらしきものがありました。
店主さんが一人で切り盛りされている様で、混み合うと大変そうですが、昨日は日曜日の午後1時半過ぎで、先客は男4人だけ。
BGMは日本のポップス。エグザイル関係っぽい曲がずっと流れていました。
 
メニュー

店頭のメニューです。
基本はしょう油の さわぎめん で、豚マシは 豚さわぎめん 、それぞれに辛い肉味噌が入ると 辛さわぎ 、豚辛さわぎ となり、辛味噌入りメニューにはみそ味もあります。
ほかに まぜそば も。
 
メニュー

店内のメニュー。
平日のランチタイムは半ライス無料。
 
メニュー

二郎系らしい無料トッピングリストです。(赤丸が何も追加しない状態)
注文はラーメンの注文と同時にします。
ニンニクは、通常では入っていません。
妻の美容院に付き添って行くのは日曜日が多く、なかなか 歴史を刻め に行けないので、そんな時はここも良いかなと思いました。


名古屋 辛ジロー さわぎ

【住所】名古屋市中区新栄 2-10-29

【営業時間】11:30〜14:00 ・ 18:00〜23:00 (ラストオーダー 22:30)

【定休日】火曜日の朝と水曜日


(アメブロ10月16日の記事より一部修正の上転載)
https://ameblo.jp/libaston/entry-12319740719.html


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【ラーメン荘 歴史を刻め 新栄】和なカレー 汁なし で久々に歴史を刻む

初めて限定ラーメンが食べられました。

昨日は珍しく午前中に栄に行く用事があったので、久々に歴史さんへ。

和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ)
和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ)

歴史を刻め 新栄 に平日に行くのは物凄く久しぶりでした。
そして、今まで幾度となく通ってきたこの店で、初めて「限定ラーメン」なるものを食べる事が出来ました。
カレー味のタレで食べる汁無しラーメンで、麺300gに豚、もやし、ネギ、刻み生タマネギ、鰹節がトッピングされています。
それに200円で豚を増して合計1100円。
無料トッピングは野菜、ニンニク、アブラ。

和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ)

ちょっと上から撮影。(←意味無し)

和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ)

裏側からも撮影。(←早く食え)

和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ) 麺

麺はいつもの感じでみっしりと重く、ドロッとしたカレー味のタレがベットリと絡んで実に美味かったです。
カレーはそれほど辛くはなく、自然にタレと融合していました。こちらのタレは元々生姜の風味が強いので、カレーが合うのは当然ですね。
 
和なカレー (汁なし) 900円 + 豚マシ 200円 (無料トッピング : 野菜・ニンニク・アブラ) 完食

麺と具材をほとんど食べたらタレがこれくらい残ったので、この後すすって完食しました。
 
券売機

券売機です。
和なカレー のボタンはダンボール製のポップのすぐ上の ねぎ の一つ上にあります。
豚マシは現金で支払いしました。

店内 カウンター 食券

出て来た食券は 持ち帰り 豚 でしたが (笑)
無料トッピングの注文は、普通のラーメンは提供直前に「ニンニクは入れますか?」と聞かれますが、この 和なカレー は待っている間に助手さんから聞かれました。
11時50分ぐらいに行ったら空席2つで、待たずに入口から2番目の席に。この席からは…

店内 制作中のラーメン

調理の様子が良く見えます。
そういえば、店の奥に2人掛けのテーブル席が増設されていました。

店舗外観

退店後撮影。
隣の駐車場に設えられた待ち席にいたお客さん達が、ちょうど全員店内に入ったところでした。
そのうちにまた来たいです。

(アメブロ11月7日の記事から一部修正の上転載)
https://ameblo.jp/libaston/entry-12326196963.html


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7月 04, 2017

一杯の追憶 (第六話) 目黒ー平和島ー中延

 東急大井町線・中延駅の改札を出て目の前の通りを右に行くと、すぐに第二京浜国道に突き当たる。一方通行の細い通りは、片側3車線もある広い二国との交差点を渡った向こう側にも続いていて、パチンコ屋がある通りの左側は戸越、三井住友銀行がある右側は豊町である。
 戸越と言っても、この辺りは有名な戸越銀座からはだいぶ離れている上に、この付近で一番大きな商店街は中延駅を挟んで反対側にあるので、この界隈は地元の人間以外、あまり足を踏み入れる事は無い。
 前話で、僕は便宜的に中延に住んでいたと書いたが、実際はこの細い通りの豊町側をもう少し奥に入った所にある、古いアパートに住んでいた。豊町という地名は、戸越や中延と比べて通りがあまり良くないので、住んでいる場所を聞かれると、どちらにしても中延という地名を入れないと説明がつかないのである。勿論、中延と言っても、中野?と聞き返される事が度々あったのだが。

 アメリカでの同時多発テロの発生やITバブルの崩壊などにより、21世紀の幕開けは、多くの人にとって希望に満ちたものにはならなかったし、日本でも、90年代のバブル崩壊後の不良債権処理が足枷となり、2003年の初夏まで株価は下げ続けた。
 景気の低迷が常態化し、会社からの交通費支給がカットされる様になると、僕は通勤でもプライベートでも、ほぼ自転車で行動した。
 豊町に住み始めた頃、頻繁に出掛けたのは恵比寿や渋谷方面だった。
 中延駅付近から北に伸びる「スキップロード」というアーケード付きの大きな商店街を通り抜けて荏原中延駅の前を過ぎ、荏原から小山にかけての住宅街を走り抜けて林試の森公園の前をかすめ、なだらかな坂道を下って山手通りの「目黒不動」か「羅漢寺」という交差点に出る。
 そこから山手通りを中目黒まで行くのだが、その途中にいつも行列が出来ている店があった。毎回同じ時間に通っている訳ではないにもかかわらず、少ない時でも数人、多い時には数十人にまで行列が伸びている時もあり、店がまだ開いていない時間でも、既にかなりの人数がたむろしている事が、しばしばあった。
 そして店の中からはいつも、豚肉をグツグツ煮込んでいる事を想像させる甘い脂身の香りが、熱気と共に漂い出ているのである。
 山手通りに面した店の正面の壁に掛かる煤けた黄色のテントには、「ラーメン二郎目黒店」と黒文字で印刷されていた。
 僕は雑誌など全く読まないので、その時まではラーメン二郎という店がどれほどの有名店であるのかも知らなかったのだが、いつもこんなに並んでいては入る気が起らないというのが、最初に店を知ってから暫くの間抱いていた正直な気持ちであった。
 しかしある日、仕事帰りに店の前を通ると3人しか並んでいなかったので、すぐ順番が回って来るだろうと思い、入ってみる事にしたのである。
 引き戸が開けっ放しの店内は、空間のほとんどが厨房とカウンターで占められていて、壁際の通路は人がすれ違う隙間も無く、通り側に至っては、一旦外に出ての移動を余儀なくされる。
 入口にある券売機でプラスチック製の食券を買い、列が進むのを待っていると程無くして、着席している客の背中と壁の間をすり抜けて出て来た食後の客と入れ違いで、奥に入る様に促された。
 席に着いてからも、先客にラーメンが行き渡るまで暫く間があった。その間、店内や先客の様子を伺っていると、ラーメンが提供される直前に、店主と客との間で短いやり取りがある事に気が付いた。
 初めてだとかなり分かりづらいが、このやり取りを注意深く観察しながら、この店の特徴である無料の増量サービスを、いかに自分に最適化していくかを考える事が、この店ならではの醍醐味なのだと知るのである。
 幾つかの暗黙のルールがある為、慣れないと何かと戸惑う事が多く、また、客に過剰な迎合をしないという雰囲気の為か、味の好みという面だけではなく好き嫌いが分かれる店ではあるが、その見た目や味、食感の中に、食欲だけではなく、征服欲や自己顕示欲をも駆り立てる要素を多分に備えているのは確かである。
 僕はこの目黒店にはその後も暫く通ったが、三田にあるという本店や他の支店には遂に行く機会が無く、そして仕事の行き先が変わると共に、目黒店にもなかなか足を向ける事が出来なくなってしまった。
 
 その頃から仕事で行く機会が多くなったのは、それまでとは反対方向に当たる大森や流通センター、大井埠頭辺りである。
 品川区の豊町、二葉、大田区の山王に掛けての住宅街を走り抜けて大森駅前に下りて行き、そこから池上通りを春日橋交差点まで南下して、環七を真東に進んで行く。平和の森公園を過ぎた辺りから、港らしい倉庫が立ち並ぶ界隈に入り、その先に大井埠頭を含む広大な埋立地が広がっている。
 東京湾に面するコンテナ埠頭には、毎日多くの外国航路のコンテナ船が接岸し、大量の貨物がガントリークレーンで荷揚げされて広大なコンテナヤードに何段にも積み上げられ、そしてそれらを輸送する為の途方もない数のトレーラーが車両待機場に列を成し、次から次へとコンテナを積んで各地に散って行った。
 当時、テレビの報道番組では評論家達が、「日経平均が1万円を割り込んだら日本は破綻する」などと力説していたが、港のこの活況を見ても彼等は同じ事を言うのだろうかと漠然と考えていたら、実際に日経平均が一万円を割っても、当然だが日本は潰れなかった。
 マスコミが好んで取り上げる識者と呼ばれる人々の言葉からは、「このまま誰も何も手を打たなければ」という前置きが恣意的に省略されている。不安要素が無ければ、彼らには言う事が無くなってしまうからだ。実際は、誰も何の対処もしないという事はあり得ないから、彼らの言った通りにはまずならないものである。

 辟易するほどの大量の物資が目の前を通り過ぎて行く光景を眺めていたこの時期のある日、仕事場に出入りしているトラックの運転手が僕に、
「ねえ、ラーメン好きだったよね。環七沿いにある "さつまっこ" って行った事ある?」
と聞いてきた。毎日の様に朝晩2回も通っている道の途上にあるラーメン屋なので当然存在は知っていたが、まだ入ったことは無かった。そう答えると、
「美味いから一度行ってみ」
と言われたので、その日の帰りに早速寄ってみた。味はまあまあ好みの範ちゅうではあったが、実はそこから30mほど平和島駅寄りにある店の方が、僕は以前から気になっていた。
 この辺りは京急線の平和島駅に近い為、「平和島辺り」とひとくくりにされている界隈だが、住所地は「大森本町」や「大森東」であり、競艇場がある事で知られる平和島の最寄り駅は、一区間品川駅寄りの「大森海岸」である。
 その店の名は「大勝」といった。これは「たいしょう」ではなく「だいかつ」と読むという事を、だいぶ後になって知ったのだが、寄ってみようと思うと閉まっているという状態が続き、半ば諦めていたのである。
 通勤の通り道なので、立ち寄る為にわざわざ回り道をする必要が無いのは好都合なのだが、食べたいと思うと閉まっていて、都合が悪くて寄る事が出来ない時に限って開いていたのでは、縁が無いと思うしか無い。
 しかし、縁はあったのである。
 ある日、いつもの様に期待半分で店の前を通りかかると、入り口には営業中である事を示す、店名が染め抜かれた大きな紺色の幕が張られ、券売機が解放されていた。これ幸いと食券を買い、厨房とカウンターだけの物置の様な薄暗い店に入って席に着き、食券を出す。
 数分後に出て来たラーメンは、目黒の二郎で食べていたものと似た、太い麵の上にもやしがこんもりと盛られたものだったので、二郎に行けなくなって物足りなさを感じていた僕の胃袋を、これからはこの店が満足させてくれそうだと、大いに喜んだものである。
 その後、数回は大勝に行った記憶がある。しかし程無くすると、また幕が張られている光景を見掛ける事は無くなり、内側に掛けられた暗い色のカーテンが窓から覗いているだけの虚ろな空間となってしまったのである。

 そんな状態が、その後どれくらい続いたかはよく憶えていない。
 環七と第一京浜が交差する大森東交差点は、横断歩道がコの字型になっている。と言うのは、環七の南側には横断歩道が無いのである。その為、仕事帰りに流通センターからここを通過して春日橋交差点に向かう場合、北側を通らなければ先に進めない。僕は環七の南側にある大勝に寄るつもりが無い時は、出発地点からずっと北側の歩道を自転車で走って来ていたので、店に変化があっても気付かなかった可能性はある。
 そこにラーメン屋があったという事さえ忘れそうになっていたある日の仕事帰り、変化を感じさせる何物かを感じ取ったのだろうか、ふと自転車を停め、環七を行き交う長いコンテナを積んだトレーラーの短い車間を透かして、なんとか通りの向うを覗いてみると、店が開いている様に見えたのである。
 逸る気持ちを抑えながら大森東交差点の手前にある旧東海道との環七美原通り交差点まで行き、環七を横断してからは、立ち漕ぎで店の前まで自転車を走らせた。
 目線より少し上に当たる位置に掛かった黄色いテントには、「大勝」ではなく、「ラーメン髭」と印刷されている。やはり店が代わったのだ。
 券売機は大勝から引き継がれたもので、一度も食べる機会が無かった謎のメニューである「鶏ラーメン」も、引き続き売り切れを示すランプが付いたままだった。
 「チャーシューメン」の食券を買って中に入ってみると、これまた以前と変わらず、店内は油汚れで黒ずんだままで、新しい店を始めるにあたり、先ず店をピカピカに磨き上げようなどという気は全く無かったらしい。
    そんな店主は、店名通りにちょび髭を生やした小太りで寡黙な男で、僕がカウンターの棚に置いた薄い紙の食券を一瞥して調理に取り掛かり、作業を終えて丼を持ち上げる直前、
「ニンニクは?」
とぶっきらぼうに聞き、要らないと伝えると、そのまま食券のある場所に丼を乗せた。中身の重量を伝える様に、ラジオの音声だけの店内に、その音が鈍く響いた。
 こんもりと盛り上がったもやしの麓に、角煮の様な豚バラ肉の塊が4切れ並べられていて、縁に少しだけ濃い茶色のスープが覗いている。外見から、前にあった大勝やラーメン二郎と同じ系統のラーメンである事はすぐに分かったが、それ以上に、太くてゴワゴワした硬い麺や塊肉のただならぬ旨さが、僕の知覚に歓喜と呼んで良い程の強烈な印象を残したのである。

Illustration by W.D.Libaston All Rights Reserved.
その時以来、髭のラーメンの虜になった僕は、一週間に少なくとも一回は仕事の後に寄った。時には二日続けて、或いは週に三回という事もあった。
 店は京急線の平和島駅から少し歩く距離にあり、付近には前出の「さつまっこ」と、その間にもう1軒、開いているのを1度も見る事が無かったラーメン屋があった記憶があるが、まとまった商店街は旧東海道の界隈までで、そこから流通センター寄りは、それ程人通りの多い地域ではない。出来たばかりのラーメン屋を訪れる者もあまりおらず、僕が食べている間に誰も入って来なかったという事はザラにあった。
 ラーメン二郎の様に、いつも並ばなければ食べられないのも気が重いが、こんなに客が来ないのでは、折角気に入ったこの店も続けられるのかどうか心配になってくる。それ程いつも静かな店内で、ラジオと環七を通るトレーラーの音だけが響いていた。
 初めて髭に行ってから数ヶ月が経ったある日、同じ仕事場にいるラーメン好きの同僚が僕に、
「お前が通ってるっていってた髭さ、昨日初めて行って食って来たんだけど、その時〇〇が来てて、ちょうど店から出て来るところだったんだよ」
と言った。良く聞き取れなかったその名前は、文脈から察すると有名なラーメン愛好家か、飲食関係の評論家らしいニュアンスだったが、テレビや雑誌の話題に疎い僕は知るはずも無かったし、特に関心も無かったので記憶には残らなかった。しかし、著名人が髭に食べに来たという事を知り、これによって、何だか自分までもが認められたような、誇らしい気持ちになったのは嘘ではない。
 ところがその直後から、僕にとっては望ましくない方向に事態が動き出したのである。
 それはまず、客の急激な増加となって現れた。僕が行くのは、いつも夕方5時の開店時間前後だったので、最初から行列に並ばなければならなくなる事は無かったが、店内に僕以外の客が誰もいないという、かつての様なのんびりとした状況では無くなり、食べ終えて外に出ると待ち客が並んでいるのが普通になってしまった。
 しかし、その辺りまではまだ、これで店の経営が上手く軌道に乗り、潰れる心配が無くなったと喜んでいられたのだが、ある日、仕事が立て込んでしまい、いつもより遅い時間に店に着くと、ちょうど僕の前の客で材料切れの為に入店が締め切られてしまったのである。
 すまなそうに券売機にカバーをかける店主に、「また今度」と声を掛けて店の前から離れたのだが、その日は自転車のペダルの重さが身に染みる家路となった。
 それからも、少し遅くなると既に店仕舞いした後という状態が続き、たまに食べられたとしても肉の残りが少なくなってしまっていて、チャーシューメンが出来ないというのが常態化してしまった。
 それでも何とかラーメンにありつく事が出来た時には、店主に近況を聞いてみるのだが、とにかく急に客数が増えてしまい、当人が一番困惑している様子であった。
 この店主は、いくら客が増えても作る量を増やすつもりなど全く無いので、客が増えれば増えるだけ、店仕舞いする時間が早くなって行くのである。しかしその事は、食べられなかった時には恨めしくもあったが、結果的に店の味を保つ要因となったのは間違い無い。

 そんな、髭で食べられずに落胆して帰って来た時に、よく夕飯を食べに行った店があった。二国から戸越と豊町の間の道に少し入った所の豊町側にあった「らーめん浜ちゃん」という、典型的な町の食堂である。
 僕が豊町に住み始めた後に出来た、木造りの内装が明るく綺麗な店で、ラーメンに関しては、店主自ら2種類の麺を手打ちで作る程のこだわり様であった。スープもコクがあって美味く、また脂身の少ない豚ロースの大きなチャーシューも特徴的で、町の食堂らしからぬ美味いラーメンを出していたのである。
 客層は、昼はいつも現場作業員風のグループ客で賑わい、夜は近所の住民が居酒屋代わりに使っているといった雰囲気で、ラーメン好きが遥々遠方から食べに来る様な店では全くなかったが、僕はここのラーメンがとても気に入り、店が出来た当初から髭に通い出す前までは、頻繁に食事をしに来ていた。
 特に、仕事帰りに寄ってモツ煮込みを肴にビールを飲み、タンメンを食べる事が多かった。タンメンに限って言えば、僕は未だにこの店以上に美味いものを食べたことが無いと断言できる。
 塩ラーメンに炒め野菜が乗ったこの食べ物は、普通のラーメンとは違った魅力に溢れている。豚肉と野菜を炒め、そこにラーメンのスープを流し込む為、茹でた野菜をただ乗せるのとは違い、炒める事によって素材から引き出された香りや甘味に加え、フライパンにこびり付いたものが旨味となってスープに溶け込み、更に香ばしさに溢れた絶妙な味を生み出すのである。
 休日には、時間を見計らってすぐ近くの「松の湯」という銭湯に行き、温泉やサウナで時間を掛けてゆっくりと身体の水分を搾り出してから開店直後の浜ちゃんに駆け込み、先ず瓶ビールを冷えたグラスで一口グイッといく。厨房で店主がタンメンを作る音を聞いて進捗状況を頭で思い描きながら、アルコール類を注文した客が一人前だけ食べられる貴重なモツ煮込みを摘まみ、頃合い良く出て来たタンメンをゆっくりと楽しむというのが、僕にとっては近所で出来る最高のフルコースであった。
 店内には六人掛け程度のテーブルが3脚あり、混んでくると相席になるのだが、僕が行く時間帯は、どちらにしても町内のおじさん連中の夕食時にはかち合わなかったので相席になる事はまず無く、それどころか他の客がいる事すらもあまり無かった。たまに他の客がいると、ほとんどが煙草を吸うのであまりいい気分ではなかったが、地元の小さな食堂では、それもいた仕方無い。

 豊町にはちょうど10年間住み、練馬の中村橋と共に、東京では一番長く暮らした町となった。その間、通ったと言えるほど食べに行った店は、この章に書いた3軒と前章の1軒、他にあと数件だけである。1~2度行っただけの店ならもうあと何軒か記憶には残っているが、この4軒は、それまでに行った全ての店の中でも、思い入れという点ではずば抜けている。
 特に髭に関しては、開店してから暫くの間の閑散としていた時期から、開店待ちの行列ができるような繁盛店に成長するまでの過程をつぶさに見られたという点で、特に感慨深いものがある。
 幾つかの場所を転々としながら、自分の故郷よりも長く住んだ東京を離れる事になり、引っ越しの前に最後の髭のラーメンを食べに行った時は、店の厨房で使っている洗剤を大森駅前のドラッグストアの店頭に出ている分だけ買い占めて持って行き、帰り際に渡した。チャーシューメンが出来なかった時でも、内緒で肉を少し多めに入れてくれたお礼のつもりであった。
 そして、またいつか必ず食べに来るから、店を続けていてくれと伝えて別れた。

 その後すぐに名古屋に引っ越した僕は、ちょうど2年後に東京に行く機会があり、案外と早く約束を果たす事が出来た。
 品川駅から京急線の羽田空港行きに乗って平和島駅で降り、開店時間の30分程前に店に近付いて行くと、店の外には誰もおらず、窓には内側からカーテンが掛けられていて少し不安にさせられたが、前まで行ってみると、カーテンの上から室内の灯りが漏れている。
 その昔、テレビの取材を受けておきながら、放送日の翌日にわざと臨時休業した店主の事である。実際に店が開くまでは、何が起こるか分からない。取り敢えず、店内からは灯りと共に、豚肉が煮える熱気と甘い匂いが漏れ出ている。
 そのまま並んでいると、開店時間の少し前に店主が券売機を稼働させる為に現れた。風貌は全く変わっていない。そして、僕を見るなり
「お、久しぶり」
と言ってくれた。こちらも挨拶を返しながら「チャーシューメン」の食券を買い、店に入りながら何気なく後ろを振り向いてみると、僕の背後にはいつの間にか、横長の店の間口よりも長い行列が出来ていた。
 店内は全く変わっていない。薄暗い照明、油で黒ずんだ厨房や床、ラジカセから流れるNACK5の音楽とDJの声、要領が分からずに一度も登録する事が無かったメルマガのアドレスが書かれた貼紙。
 2年程度ではそれほど変わるものではないとは理解しながらも、やはり懐かしいという感慨をこみ上げさせるのに十分な、この店らしい変化の無さである。
 初めて来ていきなり大盛りを注文する客に対して、不信感をあからさまに顔に出す店主だが、そんな店主と客との興味深い攻防も、数々思い出された。
 全く幸運なことに、僕は初めてこの店に来た時から、チャーシューメンの普通盛りしか注文しなかった。もっとも後半は、チャーシューメンも注文出来ない事が多くなってしまったが、もしも最初に大盛りを注文して断られていたら、その後、良好な関係を築いて通い続けられていたかどうかは自信が無い。仮に受け付けられていたとしても、間違い無く食べ切れる量ではなかったが。
 久しぶりに食べた髭のチャーシューメンは、麺の食感やスープの油っこさなど、だいぶ変化の跡が見られたが、やはりこの店のラーメンそのものであり、夢中で食べていたあの頃の記憶を引き出すには十分なものがあった。
 かつて、ゴリ押しで大盛りを注文しておきながら、普通盛りの分量も食べられなかった客に対して舌打ちをした、この店主の醸し出す雰囲気も含めた店全体の佇まいも、何らそれを阻害しない。
 そして、食べている間にも途切れることの無い、窓に映る外の行列の影が、僕ごときが心を煩わせずとも、この店がこの先もずっと続いていくであろう事を、僕の背中に語りかけているようであった。
 髭には、その約1年後にも訪問する機会があり、初期の頃からメニューにありながら結局いつも見送っていた油そばを初めて食べて、また感動を新たにした。
 髭で食べたのは、その時が最後である。

 髭への最後の訪問の前日には、浜ちゃんを訪ねた。
 旅行中であるにもかかわらず、豊町に住んでいた頃の休日と同じ様に、松の湯でゆったりと温泉に浸かり、サウナで十分に汗を流す。銭湯で見掛ける爺さん達の顔ぶれも、3年程度ではそう変わらないものである。
 浜ちゃんでは、定位置だった入ってすぐのテーブルに着き、瓶ビールとモツ煮込み、タンメンを注文して、奥にあるテレビを眺めながら待った。
 すぐに出て来たビールを、良く冷えたコップに注いで一口で飲み干し、次いで出て来たモツ煮込みをつまみに杯を重ねながら、やはり厨房から聞こえて来る、タンメンを作る音に耳を傾けた。
 相変わらず、他に客のいない静かな店内で、幾つか新しいメニューが加わった壁の貼紙などを眺めていて、以前から身動きする度に開いてしまっていた出入口の自動ドアが、手動になっている事に気付いた。最初に入った時に気付かないものだろうかと自分のうかつさに呆れたが、入った時点で、元々自動ドアだった事を忘れていたのだろうと思い直した。3年間での変化と言えば、それぐらいだろうか。
 出て来たタンメンを味わいながら再び店内を見廻していると、店主も相変わらず暇そうで、調理が終わった後は奥の椅子に座り、時代劇を楽しそうに観ている。
 結局、僕がいる間に他の客は来なかったので、煙草の煙で嫌な思いをする事は無く、快適に過ごす事が出来た。
 そして帰り際、勘定を済ませながら店主に、以前近くに住んでいた者である事を告げると、
「ああ、やっぱりそう。見覚えある人だなぁど思ってらんだけど」
と言われた。青森出身の、聞き取れない程ではないが、結構訛りのあるおじいちゃんである。僕も出身は東北だが、その事をこの店主に伝えていたかどうかは忘れてしまった。
 3年経っても、薄っすらとでも僕の事を憶えてくれていたのは、地元の小さな食堂だからであろうか。この狭い界隈だけの事にせよ、自分の存在が記憶されている場所があるという発見は嬉しいものであった。

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東京から帰って数か月後のある日、インターネットのレストラン検索サイトで、浜ちゃんが既に無くなっている事を知った。浜ちゃんを知っているブロガーが書いた、浜ちゃんの跡地に出来た店についての文章を読んだ事に依ってである。
 店主の身内らしき人々がしばしば店に遊びに来ていたので、住居が近くにあるか、或いはその建物自体が住居なのではないかと勝手に想像していたのだが、今となってはそれも確かめる術は無い。
 いずれにしても、僕が傑作だと思っていたあのタンメンを食べる事はもう出来ないという現実を、その瞬間に突きつけられてしまったのである。
 銭湯で汗を流した後の火照った身体に冷えたビールを注ぎ込み、その後でゆっくり啜った熱いタンメンの味わいを、あの界隈の日常風景や、あの頃起こった様々な出来事と共に、今でもたまに思い出す。二国から路地に入った小さな界隈にかつてあった、この普通の食堂もまた、これまでに書いて来た店々と同様、僕にとってはもう会う事の叶わない、心に残る場所の一つである。

 今は当たり前のように慣れ親しんで啜っているこの一杯も、いつかは追憶の彼方に去ってしまう時が来るのだろうか。いや、それに関しては、まだまだ相当の猶予がある事を願うのみである。
 それぞれの場所に確かに存在した "あの時の自分" に思いを馳せながら、そろそろ筆を置くことにしよう。
                      第六話及び全話・完


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6月 23, 2017

一杯の追憶 (第五話) 五反田高架下

 「どうして、どの部屋もベランダに洗濯機が置いてあるの?」
 当時僕が住んでいた都営浅草線の中延駅近くにある古い3階建てアパートに初めて訪ねて来た交際中の女性が、建物の前まで来て真っ先に僕に聞いたのが、その事だった。
 そう言われるまでは別に珍しい事とは思わず、そこに蛇口と排水溝があるから当然の様にそうしていただけなのだが、今まで住んできたアパートの間取りを思い返してみると、洗濯機を設置する場所は地域によって2種類に分かれていた。
 僕が東京で暮らした事がある地域は、住んだ順に世田谷区、練馬区、大田区、品川区だが、世田谷区の経堂で住んでいたアパートは風呂無し、トイレ共同の古くて狭いアパートで、洗濯機を置く場所も無かった。
 練馬区では2ヵ所に住んだが、どちらも台所に水回りが集められていて、洗濯機用の水道や排水溝も流し台のすぐ隣に設置されていた。その為、洗い終わった物はベランダまで運んで干していたのだが、その後で住んだ大田区や品川区では、洗濯機はベランダや玄関先など屋外に設置する様に設計されていたので、洗った物はその場で干す事が出来た。
 その様なレイアウトに馴染んでいなかった彼女は、電化製品が屋外で雨曝しになっている事に対して不安を感じたらしい。しかし、これに慣れている僕は、そもそも水を使う洗濯機が雨ごときで壊れる筈は無いし、ベランダにしろ玄関先にしろ、屋根や軒が掛かっていて、いつも雨曝しになっている訳ではないので、全く問題があるとは思っていない。むしろ、洗濯物を洗ってその場で物干し竿に掛けていけるのが、この上なく便利だと思っているのである。
 しかし、ベランダに洗濯機を置くことに関しては、幾つか気を付けなければならない事がある。コンセントに雨がかからない様になっているかを良く確認するのは勿論だが、ベランダという場所は大抵の場合、水はけの為に床が幾分傾けて作られているので、洗濯機の足の長さをそれぞれ慎重に調節して、本体が確実に平らになる様に設置しなければならない。さもないと、何年か経ったある日の洗濯中、町中に轟く様な大音響と共に軸が大破する可能性がある事は、僕自身が実際に経験済みである。

 中延に住み始めた当時は、後に振り返ってみると「IT景気」と呼ばれた時期であった。それまではほんの一部の研究対象だった物が世界規模に広がっていき、一般の人々にとっても身近な実用品として普及していく段階では、まだ競争が少ない市場で大きな利益を得るチャンスがあったのは当然であろう。しかし、そこに投資が過剰に集中し、やがて「景気」は「バブル」へと変化して行ったのである。
 そんな世相とは直接関わる機会も無く暮らしていた僕はその頃、五反田で1日18時間も拘束される仕事に就いていた。今考えても、その当時は何を思って日々生活していたのか、あまり良く思い出せない様な状態だったのだが、そうかと言って、忘れてしまいたい様な嫌な事ばかりだった訳ではなく、今でも懐かしさと共に時々思い出す幾つかの事柄がある。
 その頃の事で特に印象に残っているのは、食生活である。
 朝起きるとすぐに顔を洗って着替えをし、朝食は時間が無いので摂らずに出勤して、昼は毎日同じラーメン屋でラーメンライス、夜は牛丼チェーンの松屋で豚めしを食べるというパターンを、数か月に渡ってほぼ毎日繰り返していた。
 その当時は、今日は何を食べようかという思考すらも放棄して、ただただ毎日同じ物を食べ続ける方が気が楽だという様な精神状態だったのだが、しかし、ラーメンライスも豚めしも、かなり気に入っていたのは事実である。

 松屋で初めて食事をしたのは、その「豚めし」の販売が開始された頃だった。
 2003年にアメリカでBSEが発生し、アメリカ産牛肉が輸入差し止めになるという騒ぎに発展すると、日本の牛丼チェーンはアメリカに代わる輸入元を探すか、牛肉を使わないメニューを開発するかという選択に迫られた。
 当時、最大大手の吉野家の社長がアメリカ産牛肉にこだわって輸入解禁を訴え、「食の安全」の観点などから各方面で批判されたのを憶えているが、牛丼には脂身が多く甘みのあるアメリカ産牛肉が不可欠で、赤身の多いオーストラリア産では美味しい牛丼は作れないという考えには、個人的には納得できるものがあった。
 また、そのアメリカ産牛肉をアメリカ人は日常的に食べているのだし、それを日本人が食べる事にどれほどのリスクがあるのだろうか、といった疑問も持っていた。
 それに加え、牛肉に限った事ではないが、日本産の物は値段が高すぎる。外国産に比べて10倍の値段が付いていても、美味しさはせいぜい2~3倍ぐらいだろうと思っていたので、僕は輸入禁止に賛成する気にはなれなかった。
 しかし、安全な日本の農畜産物を求める世論や、国内の生産者を守る立場からの政治的圧力もかなりあったのだろう。アメリカ産牛肉はその後2年間に渡り輸入禁止となり、大手牛丼チェーンは他の国から牛肉を輸入するのではなく、牛肉を豚肉に代えた商品を売り出したのである。
 この様な経緯で生まれた豚丼だったが、僕はこれをかなり気に入って頻繁に食べていた。
 初めは輸入牛肉の問題で窮地に立たされた牛丼チェーンを応援しようかという気持ちから、外食するなら牛丼屋に行こうというぐらいのものだったが、食べてみるとこれが実に美味い。しかも、吉野家一辺倒でそれまで入った事が無かった松屋で一度食べてみると、松屋の「豚めし」の方がより僕好みの味である事が分かった。しかも、松屋は全ての食事メニューに味噌汁が付くので、食後の腹の落ち着き具合が良かった。
 早朝から深夜に及ぶ極端な長時間労働からの帰り道、夜11時過ぎに豚めしを胃袋に詰め込み、満腹感から来る眠気を逃がさない様に、急いで家に帰ってすぐに布団に入る。そして朝4時に起き、支度をして再び仕事に向うという生活パターンが続いた。

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その頃、毎日昼食を摂っていたのが、五反田の高架下にあった「時代屋」という煮干しラーメンの店である。
 東急池上線とJRの二つの五反田駅の間を走る、都道317号線を跨ぐ鉄橋の様なその高架は、上を山手線の内回りと外回り、及び双方の複線の合計4本のレールが走っていて、幅が広く、丈が極端に低い。
 高架と並行して歩道橋も設けられている上に、時代屋があった池上線側の上方には、東急ストアの4階に位置する東急五反田駅のホームが被さるように中空に掛かっている。
 立体構造の底辺に位置するこの高架下に入ると、まるでトンネルの様に急に辺りが暗くなり、周辺の幾つかの古い商店や、コンクリート壁の落書きなどが、混沌としているようでいて不思議と心が和む、懐かしいような感情を沸き上がらせるのである。
 その高架下の暗がりの中に、時代屋はあった。
 丈の低い鉄橋が直接店に覆い被さり、天井のすぐ上を電車が走っているといった具合で、電車が通る度にカウンターだけの狭い店は、鉄骨とコンクリートが屋根裏で取っ組み合いの大喧嘩を始めたかの様な重々しい音と振動に包まれた。
 普通に考えれば、そんな店は居心地が良い訳など無く、食べ物が美味しく感じられる要素など微塵も無いのだが、そんな環境下で啜っていたラーメンは不思議と僕の心や胃袋に馴染み、その味と電車の騒音や振動、僕自身の肉体と精神の疲弊が一つの塊として、今でも時々僕の心象に浮かび上がり、形を成そうとする事がある。

 煮干しラーメンと言えば、東北や新潟にある、あっさりとした醤油味の透き通ったスープに背脂が浮かべられたラーメンがまず想像されるが、時代屋のラーメンはそれとは全く違い、スープは鶏ガラ出汁で、濁っていてコクがあり、それに煮干しの出汁が加えられている。
 煮干しの風味が加わる事によって動物的なクセが緩和され、また、煮干しが持つ尖った雑味の様なものを鶏ガラ出汁のコクがまろやかに包み込んで、実に良いバランスが保たれていた。
 そして、少しだけ浮いている背脂と共に、スープが縮れた中太麺に絡み、同時に口の中に入って来る心地良さを一啜り毎に味わう事が出来た。
 よく言われる、「麺は音を立てて啜ると美味い」と言う表現は、当たってはいるが正確ではない。寧ろ、美味しく食べようとすると、音は止められないと言える。
 麺を啜る時、麺自体と、麺と麺の間に絡まって口の中に入って来るスープを同時に味わうのが一番良いバランスである筈なのだが、音が出ない様に麺をいちいち箸で口に運んでいると、麺に絡んでいるスープがどんどん流れ落ちてしまい、そのバランスが崩れてしまうのである。
 従って、日本人が日本国内でラーメンを食べる時は遠慮なく音を立てて食べれば良いし、外国人にもその様に勧めてみれば良い。ただし、それを無理強いする必要は無いし、日本人も海外で食べる時は周囲を憚って止めておくか、それが嫌なら海外で日本式の麺類は食べなければ良いだけの事である。

 時代屋でもう一つ思い出されるのは、卓上の調味料類と共に、無料の梅干しが置かれていた事である。
 ラーメン自体がチャーシューも含めてご飯のおかずに十分になる味だったので、僕はいつもライス付きで注文していたのだが、それに加えて梅干しを食べる事により、こんな生活を続けて不健康を強いている自分の身体に対して、それがせめてもの罪滅ぼしになればと考えていた。いわば、免罪符的なものだったと言える。

 時代屋がいつまでその場所にあったのかは、僕は知らない。
 過酷な労働の日々を脱して最後に訪ねてから数年後、機会があって久しぶりに五反田のガード下に行ってみると、全く知らない店がそこにあり、随分落胆して家に帰ったのを憶えている。住んでいた中延のアパートから五反田駅までは自転車で5分もあれば行ける距離だったので、行こうと思えばいつでも行く事は出来たのだが、やはり無意識にその場所に近付くのを避けていたのかも知れない。
 それ以前にも、五反田から桜田通りを北に向かう途中のどこか、高輪台辺りを自転車で通り掛かった際、時代屋の別の支店を偶然見つけて入った事がある。しかしその店の味は、五反田店には遠く及ばない、同じ名前を名乗っている店だとは到底思えない様な、全く旨味を感じないものだったと記憶している。
 その店に関してはあまりにも曖昧な記憶しか無く、今となっては場所も含めて書くべき事柄はこれくらいしか見つからない。いずれにしても、あの五反田のガード下で、また同じラーメンを食べる事はもう出来ないという事実は、受け入れざるを得なかった。

 そしてそれからまた数年が経ち、僕が東京を離れて名古屋に引っ越してからの事である。
 夫婦で東京を訪れる機会があり、その際、品川のホテルに宿泊したので、つい懐かしさに駆られ、夕食後の遅い時間に一人で五反田まで足を延ばしてみた。その昔、僕に洗濯機の置き場所について質問した妻は、五反田での事を知らない。
 ガード下のその場所には、微かな記憶に残っていたものとはまた違う名前の店があった。ラーメン屋にとって、ここは鬼門なのだろうか。
 名前こそ違うが、時代屋と同じく「煮干し中華」を謳っている店だったので、そんなラーメン屋がこの場所にあるという事に感慨深いものを感じ、立ち寄ってみる事にした。
 券売機が店の外にあるのは相変わらず。低い高架が店に覆い被さり、屋根や軒の代わりになっているので、機械が雨に濡れる心配が無い。ベランダや玄関先に置いた洗濯機と同じである。
 店内も変わらず、カウンターだけの狭い空間である。おそらく大まかなレイアウトは変わっていないのだろうが、時代屋の頃の「町の食堂」然とした店構えから、平成のラーメン店といった雰囲気にイメージが変わっていて、当時を思い起こす事は容易ではない。それに、あの当時は昼時ばかりで、夜に食べに来た事は一度も無かったので、その影響もあるのかも知れない。
 そんな事を思いながら時間を過ごしていると、ラーメンが運ばれて来た。
 店に入った時から匂いはしていたのだが、やはり目の前で香る煮干しの匂いには、懐かしいと思う気持ちが沸き上がる。
 しかし、時代屋には無かった現代風の気取りは、やはり隠し様が無い。当時は昔懐かしい中華そばという位置付けだった煮干しラーメンが、今では寧ろ最新のトレンドになっているのである。あの頃と全く同じものを求めても、もはや叶えられるはずも無い。
 しかし、今食べているこの一杯を、もはや存在しない「あの時の味」に一瞬で変えてくれるものが、この店にはあった。ラーメンを啜り始めてから最初にそれが起こった瞬間、僕の精神は疑いなく、「あの頃」を垣間見たのである。
 低い天井のすぐ向こうを、山手線の電車が通過して行く。暫し店内に響く、鉄骨とコンクリートが軋み合う音と、尻から腹に伝わって来る重い振動。そして、店の前の通りを越えた先にある五反田駅のホームに電車が滑り込んで行き、レールを軋ませながら徐々に速度を落として、やがて静かに停車する気配。
 それら一連のものに包まれながら、僕はこの一杯によって、辛うじて自分の心を繫ぎ留めていた日々がかつてこの場所にあった事を、ひっそりと想ったのである。

                   第五話・完


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