地元の氏神様
【お断り】
この記事は2016年1月7日にアメーバブログに投稿したもののアーカイブです。現在とは周囲の状況が異なる可能性がある事をご了承の上、お読みいただきます様お願い致します。
今回参拝したのは、地元の氏神様である針名神社です。
鳥居前の広場が駐車場になっています。
参道の途中にある手水舎では、龍神様がお出迎え。
尾治針名根連命 (おわりはりなねのむらじのみこと)
大国主命 (おおくにぬしのみこと)
少彦名命 (すくなひこなのみこと)
左が天王社。御祭神は建速須佐之男命です。
更にこの裏には稲荷神社があり、商売繁盛を願って参拝者も結構多いのですが、僕はお稲荷さんとはあまり相性がよろしくない様なのでスルーさせていただきます。
更にこの裏には稲荷神社があり、商売繁盛を願って参拝者も結構多いのですが、僕はお稲荷さんとはあまり相性がよろしくない様なのでスルーさせていただきます。
拝殿の掲示に御祭神と共にこの神社の由緒が記されているのですが、その真ん中辺りに「針名神社は元々、ここから800m北の天白川左岸にあった」と書かれています。
この地に引っ越して来て初めてこれを見てから、何度かその"元々あった場所"というのを探しに行ったのですが良く分からなかったので、今回は御守り売場のお姉さんに思い切って聞いてみました。
そうしたら、その場所を示すものは、今は何も残っていないのだそうです。その付近には前出の天地社があるのですが、そこでもないと...。まぁ、天地社の由緒書きにも何も書かれていなかったので、違うだろうなとは思っていたのですが...。
そうしたら、その場所を示すものは、今は何も残っていないのだそうです。その付近には前出の天地社があるのですが、そこでもないと...。まぁ、天地社の由緒書きにも何も書かれていなかったので、違うだろうなとは思っていたのですが...。
考えてみると404年前の事ですから、川の流れも当時とは変わっているかもしれません。しかも、天白川は近年でも何度か氾濫して周辺に被害が出ていますし。
でも、少なくとも千百年以上前から神社が在った場所というのは、それなりの謂れ因縁があると思うのですが...。
でも、少なくとも千百年以上前から神社が在った場所というのは、それなりの謂れ因縁があると思うのですが...。
そんな訳で、僕のささやかな古代ロマンはあっけなく終了しました。
で、その後、800m北の天白川左岸に、また足を伸ばしてみました (未練か)
この記事をきっかけとして、後に「針名神社から天白川源流へ」と題した記事を書いていますので、そちらも是非ご覧ください。→ 針名神社から天白川源流へ
それでは、今回はこの辺で。
また次回もよろしくお願い致します。
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